さかなはそらに ことりは水に

とりあえず反対のことを言ってみるブログです

「日本」という国は、ない。

「まっくら森」の理屈でいけば、「ある」は「ない」です。

「ある」はずのものが「ない」。

そんなバナナ。

 

なぞなぞです。

「ある」のに「ない」もの、な~んだ?

 

『まっくら森の歌』でも聴きながら、考えてみてください(考えるまでもなく、タイトルで答え言ってますが…)。

 

youtu.be

 

別に私は谷山浩子さんのファンではありません。

『まっくら森の歌』が辛気臭くて好きじゃない、という方には、こんな歌もありました。↓

 

youtu.be

なつかしいです。

 

多分「ある」のに「ない」ものの答えは、たくさんあるのだろうと思います。

が、私がここで想定している答えは「国」です。

永遠の中学二年生なので未だにこんなことを言ってるんです。

 恥ずかしいです。

 

まぁ、ぶっちゃけ、「国」は「あり」ます。

私たち、日本の領土に住んでいる国民の集合体、それが「国」です。

だが、「日本という国」はどうか。

 

私は「””日本””という国があるのだ!!」と、ずっとそう思ってきた。

「FUJIYAMA」「天皇」「世界最古の国」「GEISHA」「TEMPURA」…

 

摩訶不思議な、東洋の「国」、「日本」「NIPPON」「JAPAN」「JIPPON」。

 

 

でも多分「日本という国」は、ない。

 

いや、正確に言うなら、「日本という国はあった」と、常に過去形になる。

「ある」のではない、「あった」。

なぜか。

 

なぜなら、「国」とは、その成員が生きた結果、取った行動の結果が、「こういうことがあった」というサンプルとなり、それが集積して形作られるものだからです。

(甘犯構文です)

 

 集中力なくなったので一回区切ります、続きます。